なぜ三浦瑠麗さんは徴兵制を主張するのか - 「シビリアンの戦争」

 

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき

 

この本は民主主義国において始められた戦争がどのような民主政治のプロセスを経て開戦の判断が下されたのか、ということを4つの戦争の事例を用いて分析したものである。事例として取り扱うのは、イギリスのクリミア戦争イスラエルの第1次・第2次レバノン戦争、イギリスのフォークランド戦争、アメリカのイラク戦の4例。

 

いわゆるシビリアン・コントロールといえば暴走する軍隊を良心的なシビリアンが抑制するというイメージが強い。しかし、現代の成熟した民主国家では軍隊が独自に戦争を始めるということはない。軍隊のやりたがらないような戦争を、むしろ政治家の側が推し進めるということが数多く見られるという。

 

 

実際に4つの戦争を詳しく分析して浮かび上がるのは、政治家が自らの野心や支持基盤獲得のために、反対する軍隊を戦争に引きずり込む姿だ。では政治家が戦争を始める動機はなにか。

 

政治家が開戦を決断するに至る要因としては、歴史的使命感・正義感・政治指導者の受けるコスト・ベネフィット 、つまり選挙で自らに有利に働くかどうか。また政治指導者の人命コストへの許容性の低さなどが影響するという。

 

 

また4つの戦争では、大衆の正義感を刺激する「事件」の存在が少なからず開戦の世論を醸成したという点にも注目したい。クリミア戦争ではシノープの海戦、フォークランド戦争でのアルゼンチンの侵攻、イラク戦争においては9.11テロが大きく開戦に影響したと考えられる。ひとたび「事件」が起きてしまうと、有権者はメディアを通じた正義/悪、勧善懲悪のストーリーに乗せられ戦争を支持するようになる。膨れ上がったナショナリズムの波は弱腰の政府を叩き、開戦に消極的な政権をも戦争に導いてしまう、という構図がケーススタディによって浮かび上がってくる。

 

一方これまで俗説において「暴走する」と思われていた軍の動きはというと、その多くが戦争に対して抑制的な態度をとっていた。とはいえ軍が常に戦争に抑制的かというと必ずしもそうではなく、不十分な占領戦略や要員の不足など、コストに見合わない戦争については強く抵抗するというのが特にイラク戦争の分析で浮かび上がった点だ。興味深かったのはアメリカ軍の事例。アメリカ軍はベトナム戦争において無理な戦いを強いられた上にその責任を一手に負わされた苦い経験を持つ。その教訓として一定規模以上の戦争には予備役兵が参加するという、政治家に開戦のコストを負わせる制度が整えられたという事例が紹介されている。また、ひとつの軍隊にしてみても決して一枚岩で動いているわけではない。実際に実働部隊になる海軍は開戦に大きく反対の意志を示すが、そうではない陸軍はそこまで大きく反対しない、といったセクショナリズムの問題が浮上した点も興味深い。

 

徴兵制導入のロジック

なぜシビリアン(政治家、メディア、有権者)は開戦を決定してしまうのか。そこにはシビリアンとプロフェッショナルな軍人の分断が存在する。政治家も有権者も自らが戦地に行くことはないので、命の危険を感じることはない。ゆえに軍隊を道具のようにいとも簡単に戦地へと送ってしまう。同じ国民であるにもかかわらず軍人のひとりひとりの命を思いやることもなく戦争に賛成してしまう。以上が本書で筆者が最も憂いている点だろう。

 

そこで出てくるのが安全保障を国民全員で応分に負担するという「共和国」構想である。兵役や予備役兵の拡充によって政治家も国民も戦争に対しコストを払う、すなわち自ら命を落とすかもしれないという危機感を共有することによって戦争が防げるというのが徴兵制導入の論理である。ただここで注意したいのは、今すぐ日本に徴兵制を、といったことを筆者はおそらく意図していないだろうということだ。この本ではその多くの紙幅をアメリカのイラク戦争の分析に費やした。よってここでの提案はあくまでアメリカに対する提案だと推測するのが筋だろう。

 

 

 

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※この記事は読書メモとして書き留めたものを文章にしたので読みにくかったらすみません。